高校最後の日
今日はとうとう卒業式になってしまいました。
うちの学校は男子校なうえに私服なわけで、もちろん世間の高校生がよくやってる(らしい?)第二ボタンをどうこうする習慣とかは当然ないわけですが、
それでも式の時になるとやっぱりみなさんスーツで揃えるわけですよ。中には紋付袴とかもいてビックリしましたが。
この間作ったばかりの、人生初のスーツなるものを着ていけば自分みたいなのでもそれなりにビシッときまるもんで、世間ではそれを『馬子にも衣装』と言うんだとかなんとか。
9時半集合だったんですが、1時間以上前から集まってみんなで卒業アルバムに寄せ書きを書き合ったり、
スーツ姿で友達と一緒に写真を撮ったり、
あとは楽しくダベったりして。
卒業式は、卒業証書授与の時の例年みたいなクラブ部員起立系のは少なかったものの、
いつしかの学芸祭の殺陣で使った衣装着てくるのもいたし、
イクタケ氏(仮称)や岩萌氏(仮称)とかのパフォーマンスは面白かったし、
理事長の話は例によってまたとんでもない方向にぶっ飛んでいくし、
心配されてた>氏(仮称)の答辞も予想外にうまいことやってくれたし、
そんな感じで最後までうちの学年らしさがにじみ出てました。
ちなみにパフォーマンスをやれやれ言われてた自分ですが、
いくらなんでもあの規模の場所でマイク無しで独唱できるわけはなく、
それでも何か感謝は伝えたかったから、灘校やそこで一緒にいたすべての人に向けて壇上でお礼を言いました。というか叫びました。
でも卒業式とはいってもみんな泣いたりしなかったのは、誰かも言ってたけど、
これは永遠の別れとかそんなのじゃなくてきっとまたそのうちすぐに会えるんだし、
こうして友達と一緒にいられることがきっと何よりも楽しかったから。
終わった後、校門の前とかで記念撮影をした後で、
結果的にずいぶん遅くなってしまったクラ研のミーティングに呼ばれて、(鉄研の皆さんには長い間待たせて本当にゴメン;)
何なんだろうと思って大講堂に行ったら、
なんと、
クラ研の後輩たちがわざわざ自分たちのためにサプライズではなむけのアンサンブルを演奏してくれました。
校歌に始まり、チャイコフスキーのピアコンや、中3の学芸祭でクラ研が演奏したパッヘルベルのカノン、中3の合唱コンクールの課題曲だった村祭りとか、高2の時の文化祭で歌った『Time To Say Goodbye』といった懐かしの曲や蛍の光といったいろんな曲のメドレーで、
これを聞いているうちに6年間の思い出が走馬灯のように蘇ってきて…。
卒業式ではきっと泣かないだろうと思っていたのに、
まさかのクラ研で思わず泣かされてしまいました…(´;ω;`)
ずば抜けた技量はもちろんのこと、企画力もリーダーシップも持ち合わせた最高のクラ研部長のつかさをはじめとして、
こんなに素晴らしい後輩たちに囲まれていたんだと最後の最後に改めて気づかされて、ホントに感謝の気持ちでいっぱいです。
その後は、あんまり感傷に浸ってる暇もなく急いで鉄研へ。
本当はブラバンのほうのミーティングにも参加したかったけど、時間的なシワ寄せがどんどん膨らんできてどうしようもなくなっちゃって、結局一度も顔を出せずに終わってしまったのが心残り。。
鉄研の集合写真は待ち時間の間にやってたんですが、クラ研に行ってる間に恒例の胴上げは終わっちゃったらしくて残念。楽しみにしてたんだけどなー。
まぁもしそのうち機会があれば胴上げよろしくです(?)。
荷物を持っていよいよ学校に別れを告げ、
毎度恒例となった西宮のサイゼリヤに行って、
…で、なぜ送り出される高3が全員分を奢る羽目になるんだろうか!?
まぁ、今まで上の学年の人にもさんざん良くしてもらった分、後輩にも還元してあげないといけないから別にいいんですけどね。。
そして、阪神西宮にあるまねきねことかいうカラオケ屋へ。
この店には初めて行ったわけですが、料金体系こそ違うものの値段的にはジャンカラと並ぶぐらい安いしJOYが入ってるし、おまけにドリンクバーのドリンクも豊富で持ち込みOKというなかなか良いとこでした。
まぁ卒業式とはいっても鉄研だけはある意味特別で、卒業しても頻繁に現れるし家族みたいな関係が成り立ってることもあって、普段と違うような特別なこともなくいつも通りの楽しいノリでした。あ、もちろん寄せ書きはちゃんと貰ったけどね。
さっきの涙腺に続いて今度は喉まで崩壊しそうな勢いでとんでもない曲をひたすら熱唱しまくってとにかく楽しかった。やっぱりこれでこそ鉄研!!
こうして、灘校生としての最後の1日が終わりました。
最後まで、普通では考えられないほど楽しい夢のような毎日でした。
そして、そんな楽しかった日常も、今日をもって過去の思い出になってしまいました。
でも、この青春時代を灘校という素晴らしい環境で過ごせたことは、
たくさんの仲間たちと人生を謳歌できたことは、
そしてそんな6年間が少なくとも自分が考えられる中では最高の人生の歩み方だったことに疑う余地はない。
61回生。最高の学年だったし、61回生でいられて良かったな、と思う。
こうしてみんなが卒業して、
大学に入って、
就職して、
多くの人が素敵な家庭を持って、
みんなおっさんになって、
その時に、再びこうして集まった時にはきっと、
現代物理学の第一人者とか、何千・何万もの人の命を救った名医とか、世界に名を馳せる芸術家とか、日本を引っ張っていく政治家とか、
そんな各界の著名人に、いつしかのクラスメイトがきっとなってるんだろうな…。
本当に素晴らしい6年間でした。
今まで支えてくれた人すべてに、そして我らが灘校に、
ありがとう。
そして、
これからも、いつまでもどうぞよろしく。