“不謹慎”ということ

今日も結局一日中家に。
なんかここ数日恐ろしく暇人な生活してるよなぁ、とふと思ったけど実際そんなにやることもないわけだし仕方ないっちゃ仕方ない。まぁ天文部の春合宿で撮った写真の整理とかもいろいろ出来たしそういう意味では決して何もやることが無いわけではなかったのだけれども。


ところで久々に見たMステが内容変更かなんかで被災者支援ソング的なものを並べてたけど、あれは正直いただけなかった。いや被災した人を歌で応援すること自体は別に良いと思うんだけど、その番組の雰囲気があまりにもお通夜すぎてとても見てられなかった。元気をあげる立場があれではとても被災者を元気づけることなど出来ないでしょう…もうちょっと番組の作り方を考えないと。。


さて、今日は日常生活に特に書くネタもなかったし、そのことにもやや関連して個人的にとても共感する話題があったのでちょっと真面目な話。


まず、Twitter乙武洋匡氏の発言があまりに痛快だったのでちょっと引用してみる。

@h_ototake: でた、不謹慎厨! RT @hadasui524: 被災地の惨状を考えたら、とても飲みに行ける気分じゃない。自分だけ落ち着けばいいんですか?こんな発言するなんて不謹慎すぎます。 RT @h_ototake: 「落ち着いたら」のタイミングわからず。もう、飲みに行っていい気もするけど。


こういう大災害とかがあった時にやたらと持ち出される『不謹慎』という言葉があるけど、どうにもこの言葉の意味をを履き違えて使っている人が多いというか、どうもそういう変な風潮が蔓延っている印象を受けるのはどうも気に入らない。
辞書をひいても『つつしみのないこと』『ふまじめ』といった漠然とした意味しか載っていないのだけれども、不謹慎であるという状態が『謹慎する』という状態の逆であるというのは何かが違う気がするというか。


もちろんこれは線引きが難しい問題ではあるだろうけど、確かに被災地や被災者をダシにして一儲けしてやろうとかそういうことを考えるのはまさに『不謹慎』であると思う。一方で被災していない地域の人が普段と変わらない日常生活を送ることを『不謹慎』だと言うのはどうにも筋が通らない。


たとえば災害という事例を葬式に置き換えて考えてみよう。たとえば誰かが病気で死んだとして、このままでは死者の祟りがあるからその魂を鎮めなければいけないみたいなでたらめを言って不安につけこみ高い金を巻き上げようなんてことを考えるのは明らかに道徳に反しているが、別に身内が死んで不幸な人がいるからといって無関係な赤の他人まで痛み分けをするいわれはない。縁もゆかりもない他人がいきなり神妙な顔をして葬式に現れたところで死者の親族にとっては別に嬉しくもないし、そういう人は別に普段通りに生活しておけばいい。


多少例が極端にはなったけど災害も規模が大きいというだけで構図自体は似たようなもので、実際に身内や友人に阪神淡路大震災の被災者がたたくさんいるけれど、そういう立場の人にとってはもちろん他の地域の人たちからの支援は嬉しいけれども別にその人たちにも自分たちと同じような辛い生活を味わわせてやりたいと望む人などほとんどいないし、『あなたたち被災者の気持ちを考えて予定してた卒業旅行を全てキャンセルしたんですよ』と言われたところで『なんというか…すみません』としか返しようがない。それどころか場合によっては被災者に罪悪感すら与えることになる。


結局のところ、幸いにも被災しなかった我々はなるべく普段通りの生活を送るのが一番なのだと思う。遊びに行きたければ遊びに行けばいいし、飲みたければ飲めばいい。地震以来売り上げが1/10に激減した店などは東京でもざらにあるそうだが、そうして今客足に伸び悩んでいる娯楽産業や飲食店産業を活性化させなければ日本の経済はさらに停滞してしまう。
こんな一大事なんだからそれどころじゃないよという気持ちは確かに分からなくもないけど、被災者に配慮してというもっともらしい理由をつけて被災者たちが望んでもいないことをする必要は無いし、そんな偽善者ぶったことをされてもむしろ迷惑である。ましてやその考えを他人に押しつけて、気に入らない行動をとる人にまるで戦時中の『非国民』と叫ぶ人々のように不謹慎だなんだといった罵声を浴びせるなどもってのほかである。
もちろん、普段通りの生活の中で少しでも不要な電力を使わないように努力したり、被災地支援の募金に協力したりといった各々の善意の行動については否定はしないし、むしろできるなら積極的にやればいい。被災者たちに少しでも力を貸すことになるのなら。
だけど、被災地とは全然違う地域で『今回の地震の件を考慮して』ある種の伝統になっている卒業式のコスプレを禁止したり、場合によっては卒業式そのものを中止したりという大学が相次いでいるらしいけど、それは不謹慎の意味を履き違えた単なる偽善パフォーマンスにすぎないし、それを学生に一方的に押しつけているならその時点でやっている事自体は不謹慎厨と同レベルである。人生の一大イベントである卒業式を日本中の若者たちから奪うことを望む被災者などほとんどいない。


乙武氏は、冒頭で引用した発言のあとにさらにこう綴っている。

@h_ototake: 「不謹慎」と口にする人のほとんどが、被災地以外の方。むしろ、被災地の方々からは、「私たちのぶんまで飲んで、食べて、経済を回してほしい」とのリプ多数。東北の酒を飲むとか、酒代に千円足して、それを募金に充てるとか。「不謹慎」と家にこもるより、僕らにできることを!『五体不謹慎』著者より