東大は いわゆるひとつの 萌え要素…字余り。

今日はあまりお腹が空いてなかったので江坂のはなまるうどんに寄ってから、昼から東大プレ現代文の講座。
ぶっちゃけ合格点に35点足りなかった去年でさえ国語に関しては50/80近く取れてたわけで、そういう意味では今更特に何もやることは無いっちゃ無いんですが、まぁ家にいても国語の勉強なんてやらないしせっかくなら点を取れるだけ取ってくるのもアリなので一応受けてみる。
で、この講座の一番の特徴は『映像講座』。なぜか東大プレ講座の国語系はライブ授業がひとつもなくて東京校の講師陣の授業の映像を見るだけなんですが…150人以上は入るような2階の大部屋なのに受講者はたったの20人足らずというとんでもない過疎っぷり。隣の京大プレ化学は教室がぎっしり埋まってるのと比べてしまえばもはや北海道と全盛期の軍艦島を比べてるような状態…w
そしてもちろん普段関西では関東の講師陣の授業を受ける機会なんて無いわけなんですが、なるほどこれが噂の霜師ですか。関西の中野師とはまたずいぶん違ったタイプのキャラだなぁ…。
しかし授業自体は決して悪くなかったんですが、スクリーンに映せる範囲なんてたかが知れてるわけでして、板書を写してる途中で画面が次々切り替わっちゃったりしてなんかすごくやりにくいなぁという感じ。これでライブ授業と同じ授業料ってのはどうも納得いかないなぁというのが正直な感想。。
どうでもいいけど、東大の現代文の文理共通問題は必ず東大と何らかの関係をもつ(それでかつ東大に現在所属していない)人が書いた現代思想を扱う文章が出るとのことで、今回の出典は東浩紀氏の『動物化するポストモダン』。現代日本人がデータベース化された社会を生きることによる社交性の形骸化や動物化、そしてそういった現代日本の象徴的な存在がオタクである…といた文章だったんですが、霜師の解釈によればポストモダンの社会においては自分の人生を成功させるために選択するひとつのアイテムとして考えているという意味では東大もある種の萌え要素でしかない、と。この発想はなかったわwww
…まぁでも言われてみればなるほど納得な話でして、自分が東大を目指す理由も将来の日本を自分の手で明るくしようなんていう立派なものではないし、現時点で自分を支えている根拠自体がまさに東大生というステータスが自分の理想を実現するためのアイテムであるという考え方に他ならないわけで、そういう意味では自分も立派なポストモダン人間ってわけですか。むぅ。。