主の最期

今日はとりあえず昨日受け取った調査書を願書とともに出願用の封筒に入れて、郵便局に行って書留速達で出してこれで出願完了。あとはちゃんと受理されるのを待つだけです。それにしても手紙一通送るだけで800円以上するとはなんとも高い…。
そしてついでにEXPACK500の箱を買ってきたんですが、これはいつしかの水没携帯用。
実はあの携帯をどうするかという問題については結構悩んだんですが、メールのやりとりのログはもちろんのこと、高3の卒業前にアドレスを交換した人とか今年駿台で友達になった人とか、とにかくいろんな人のアドレスを新しく登録してたわけで、その中にはなかなか今から簡単には会えなさそうな人も含まれてるのでアドレス帳が消えてしまうのはあまりにも痛い。しかし復旧を依頼するにも値段もサービス内容もバラバラだし腕前もかなりピンキリらしいということでしっかり吟味して選ばないといけなさそうな雰囲気だったので、そこでいろいろとネットを調べてたら、基盤の設計や携帯のメンテナンスなどを専門にやってる晃栄電子という会社が新しく携帯のデータ復旧サービスを始めたという記事も発見。
昔からその手の作業を専門にやってた会社なら技術力は十分のはずだし、値段も成功報酬で一律9800円とまぁ妥当な感じだったので思い切ってここに依頼してみることにしました。
そんなわけでジャンク品と成り下がった携帯と電池パック、あとはバックアップ用のmicroSDカードを入れて緩衝剤(いわゆるプチプチ)でくるんでエクスパックに入れてポストへ投函。さてこれがどうなるか…不毛なメーカー修理依頼とかでかなり日にちを無駄にしたおかげでもう半月も経ってるのでかなりヤバそうですがこればっかりはもはや祈るしかなさそうですね。。


で、そういった一連の雑務はようやく今日の昼に一段落ついたのでやっと落ち着いて勉強が出来る。
この間石川師匠が言っていた、センター後の期間の勉強内容とポイントのメモを残すという方法を実践することにしたんですが意外と一日に出来る問題数って少ないのねこれ(´・ω・`)←多分数学の問題に1問2時間も使ってしまったせいかと
さらに1年ぶりにキムタツ師(仮称)が出してる東大リスニングの本も引っ張り出してきてやってみる。
去年はこれでリスニングは完璧!!…と思っていたんですが、これが実は落とし穴。
去年実際に受けてみて分かったんですが、この本みたいに製品として出版されてるいかにもスピーチを仕事にしてそうな人がちゃんとした環境でマイクに向かって喋ってる『英会話テキスト』のような音声とは違って、実際の本番は多分英語の教官何人かが喋ってるのを録音したんでしょうがこれがなかなか聞き取りづらいわけでして。変に反響するのもあるし音が妙にこもってるような感じとかもあったので、売り物クオリティの音声に慣れてしまってると逆に全然聞き取れないよ!という困った事態に見舞われたので、今回はパソコンにCDを入れて敢えてリバーブエフェクトとかをかけて変に反響させたような音にしてからやってみたらこれが案の定聞きにくい。でもこれで慣れれば本番はかなりやりやすくなるだろうと思うので頑張ってやってみることにします。




ところでこのタイミングでこんなことを書くのも変なのかもしれませんが、、
夜になって分かった話なんですが、大阪の伯母の家で長らく飼われていた愛犬『桃太郎』がとうとう大往生を遂げたそうで…。
犬種はシーズーで普段は『モモちゃん』と呼んでいたんですが、もともとは自分が幼稚園にも入っていないかもしれないような頃に隣町のほうから人混みに紛れて電車に乗って来てしまった犬で、飼い主も見つからず結局ちょうど8年前の今頃亡くなった祖母が飼うことになったのが最初。
そういうことなので勿論正しい年齢は分からないんですが、既にその頃には『子犬』という感じでは無かったそうなので少なくとも15歳以上、もしかしたら20歳近かったのかもしれません。シーズーの平均寿命がだいたい12〜14歳とされていることを考えるとまさに大往生という言葉が相応しい長生きで、白内障とかはあったとはいえ最期までずっと元気で、つい半月ほど前も散歩に行ったらちゃんと元気について来てくれていたんですが…お迎えというものはある日突然訪れるものです。
思えば本当に物心ついた時からあの家の主のように君臨し続けていたので年に数回祖母の家に行くたびに遊んでいたんですが、昔は祖母や伯母が何かした時には怒って噛みついたりすることもあったのに、まだ小さかった自分がちょっとやそっと尻尾を踏んだりなんかしても全く怒ったりすることは無かったような気がします。
もしかすると、彼は自分と遊んでくれている時には保護者のような気分で接してくれていたのかもしれません。
気がつけば新しい犬が来て、猫もどんどん増え、最初は犬一匹だったあの家はどんどん賑やかになっていき、小さかった自分は気がつけばもう10代最後の年。彼は見るたびごとにだんだんと老衰していき、痩せていき、それでも今まであの家の主であり続けていました。


命あるものにはいつか死が訪れる。
これはいつの時代も変わらない普遍の真理ですが、今日ばかりは彼との懐かしい記憶に想いを馳せていたいと思いました。
合掌。