自問自答

・昨日の夜はなんか佐用のほうがえらいことになってたようで、ライブカメラに写ってたはずの橋が無くなってたのを見た時にはビックリしました。なんだかんだでいくら科学が進歩しても自然には勝てないよなぁ…。


・そのおかげで交通の便が悪いことで知られる鳥取がいつも以上に陸の孤島と化してる件について。智頭急行はお盆の間は絶望的みたいだし姫新線もまず無理。それならかつての急行砂丘ルートで…と思っても因美線までアウトときたら結局は伯備線で米子経由しかないようで。鳥取に帰省してる人にとってはとんだ災難ですな。


・ついでになんかすぐそこでポコッと出現した台風が向かってくるそうで。まともな台風情報なんて2年ぶりぐらいに聞いたかも。


・弟が朝塾に行く時に9000系7000系とくっついて走ってるのを見たと言ってたんですがどうやら本当だったようで。増結10連含む平日特急運用に入ったのっていつ以来でしょうか。少なくとも今年に入ってからはまだ記憶にないような気が。


・このブログに設置してるGoogleAdsenseなんですが、パソコン用広告ユニットはなんと7/4以来一度もクリックが無く、半分開き直りでいつまで続くか密かにチェックしていたんですがとうとう8/8に35日ぶりにクリックがあったようで。訪問客が常連化する日記サイトはクリック率が低いとはよく言われますが、その間の訪問者数はなんとのべ1万人以上!これはある意味大記録ですね。もはや悲しんでいいのか喜んでいいのか。。


・ところで、自分の部屋で勉強していたりすると外から喧しいクマゼミの声が聞こえてくることは日常茶飯事なんですが、今日は8月もまだ10日だというのにツクツクボウシの鳴き声が。もう秋の便りですか…?





ところで、一昨日の日記のコメントにレスをつけようかと思ったんですが、いろいろ書いていると長くなりそうだったので今日の日記でそのあたりも含めてちょっと改めて考えてみる。


ぶっちゃけここまでピンポイントで核心をビシッと突かれるとは思ってなかったんですが、いやはやid:laugh-maker氏には恐れ入りました。


そう。まさしくその通りなんですよね。
少なくとも今の時点での文転は考えていないだけれども、それは単純に高1の終わりならともかく今になって文転をわざわざするメリットが無いからという単純な理由。
ただ、そこまでしていったい何故東大を目指すのかと訊かれると納得のいく明確な答えをはっきりと返すことができないというのが現状だったりするわけです。


たとえいくら良い大学を出たところで医者になって人命を救おうなんて志の高い人にはなれないし、政治や法の世界は性に合わないということは奇しくも高2〜3の間で身を以て実感することができた。かといって一生かけてひとつの大発見に辿り着くかどうかという趣味の学問の世界にのめり込んで研究室に籠ったり教授になったりしようとも思わないし、一流企業に就職してその駒としてあくせく働いてそれなりに高い給料を貰って裕福な暮らしが出来たとしてもその中に自分にとっての本当の喜びというものはどうも見出せない。ましてや『それなりの大学を出てそれなりの仕事に就いてそれなりに安定した収入を得てそれなりの暮らしを送って…』という平坦な人生に納得できるはずがなく。
それなら自分が一番やりたいことは何なのかと問われれば音楽が好きだという答えに至るのかもしれないけど、少なくとも現状ではそれを何か展望が開けるレベルまで進められる可能性は極めて低いということも自覚していて、だから言ってしまえば何も見えないまま闇雲に歩き回っているだけということになるのかもしれません。
ただ、そうはいっても引きこもりニートになることにも何の意味も見出せないしそうなる気も財力も無いわけで、つまるところ何もしないわけにはいかないというジレンマに苛まれているというのが今現在の実情なんですよね。
そんな中で、少なくとも何かそういう『やりたいこと』を見つけたり、素晴らしい人に出会える(使える人脈を作るという意味ではなく)のに最も良さそうな、あるいは自分が好きな音楽やその他の何かをしたりする時に大きなプラスの要素として働いてくれそうなものは何かを考えた時に出てきたものが『東大』だったわけで。
もちろん他の国公立や私立の大学に入っても結果的には十分良い人生を送ることはできる可能性だってあるけれど、もしそうなった場合は自分が大学を目指すと理由として自分を説得するための2つの口実のうちの後者のほうがどうしても弱くなってしまうこともあって更なるモチベーションの低下は防げそうにないです。。


そんなわけで、ある意味では自分が自信を持ってこっちに進もうと言えるような方向が存在しないにも関わらず、受験まであと1年だとか半年だとかいうこの時期に完全に進む方向を見失ってしまえば目も当てられない事態になってしまうことは自明なのでどこか自分に疑問を抱きながらも東大を目指している、と表現するのが最も正しいような気がします。お恥ずかしながら。
小6の時にあんな箸にも棒にもかからないような成績から1年で灘に受かる成績まで上がったかというとなんだかんだでやはりその目標は自分にとって唯一最善の目標であるという確信があったから(それにしっかりした根拠があったかどうかは別として)なわけで、『本気でやれば絶対できる』と思っているにも関わらずその本気が引き出せないのはそのあたりが理由なのかもしれません。


そして今の自分の現状について否定的な意見を突きつけられるほど『目標』がさらに欺瞞に満ちたものになりモチベーションが一層下がっていく…といった負のスパイラルに安易に突入する危険性があるというのもまた事実だったりします。


今度一足先に大学生になった同級生のところに行ってみて、少しは自分にとって納得のいくような『理由』が見つかるといいな。いやきっと見つけよう。見つけなければ。